狸小路商店街(たぬきこうじしょうてんがい)は、札幌市中央区に所在する商店街。 この項目では、地域(街区)としての通称「狸小路」についても記載している。 概要 狸小路は南2条と南3条の中通であり、道路名は「市道南2・3条中通線」。 創成川河畔の西1丁目から西10丁目まである横長の街区になっている。
「札幌狸小路商店街振興組合」に加盟しているのは西1丁目から西7丁目までのアーケード(全蓋式、国道36号部分は除く)がある区域であり、総延長約900メートル (m)、店舗数約200軒の北海道で歴史ある商店街の一つになっている。 狸小路商店街は新しいものを積極的に採り入れており、札幌市に初めて電話交換局が設置された際にすぐ電話を設置したのが狸小路の商人であったほか、札幌市でラジオやテレビの放送が始まるとすぐに宣伝広告(コマーシャルメッセージ)を行い、商店街としていち早くインターネットを活用し、光ファイバーや無線LANによる商店街LANを構築している。 24時間歩行者専用になっており、許可を得た車両以外の通行を禁止している。 名称の由来 「狸小路」の名称については諸説ある。 1891年(明治24年)の『札幌繁昌記』によると「狸小路とは綽名なり。 創成川の西側、南二条と三条との間の小路をいう。 このところ飲食店とて、西二丁目三丁目にて両側に軒をならべ、四十余の角行燈影暗きあたり、一種異体の怪物、無尻を着る下卑体のもの、唐桟の娘、黒チリ一ツ紋の令嬢的のもの、無りょ百三四十匹、各衣裳なりに身体をこしらい、夜な夜な真面目に白い手をすっくと伸ばして、北海道へ金庫でも建てようと思い込みかつ呑み込み、故郷を威張ってはるばる来た大の男子等を巧みにいけどり、財布の底を叩かせる。 ハテ怪有な動物かな、その化かし方狸よりも上手なれば、人々かくは『狸小路』となんよべるなり」とある。 1934年(昭和9年)の『北海タイムス』(1934年)に掲載された写真家・三島常磐による回顧談によると、1873年(明治6年)か1874年(明治7年)頃に現在の南3条西4丁目に侠客の松本代吉が「東座」(あずまざ)を建てると「それが切掛になって一杯酒の店が出る、白首(ごけ)が出だすという按排(あんばい)で、それ迄一帯の大ヤブであった地が次第に賑わって来た(略)。 徒(あだ)に付けた白首小路、則ち狸小路の名がその儘本名になってしまったんだから面白い。 大ヤブに出る狸で、狸は白首の異名であった」とあり、言葉巧みに男を誘う女たちをタヌキに見立てたという。 1888年(明治21年)3月25日の『北海道毎日新聞』に掲載された一杉居士の投書によると「抑も狸小路の称呼たるや公称の町名にあらず。 (中略)彼小坊や両側の店頭概ね角灯を懸け、其角灯には或は鳥鍋、或は蕎麦、或は汁粉、或は何と書るし客を招くの牌を為すと雖も、日輪西山に舂(うすづ)き角灯火を点ずる頃に至れば、紅粉面頸を装いたる婦女影暗き処に停立し、以て漂客を招く。 世人之を目して狸と呼ぶ。 蓋(けだ)し暗々房裡に客を曳き密に淫を鬻くを以て斯く綽号を与へしなり。 而して該小房の内正業に従事するものは恰も晨星の如く狸業其多数を占むるが為め、遂に小房に狸の冠字を加へたるものにて、是れ即ち狸小路の名の因て起こりし所以なり」とある。 1898年(明治31年)に『北海道毎日新聞』に掲載された深谷鉄三郎による回顧談では、3丁目に「曖昧女」(白首)をかかえた「仙北屋」が開いたことが狸小路の始まりであり、次いで「雨風」とあだ名のついた女が2丁目で料理屋兼曖昧屋とした「安津満屋」(あづまや)を開いたことが第2の狸小路の始まりであるという説、実際にタヌキが生息していたから狸小路と呼ばれたという説、明治から大正初期にかけて人を化かして仕入れ価格の2倍で商品を売って暴利をむさぼる商店があったため、当時の商売人をタヌキに例えたという説を挙げている。
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