アイヌ(アイヌ語: Aynu / アィヌ、ロシア語: Айны)は、北は樺太から北東の千島列島、カムチャツカ半島、北海道を経て、南は本州北部にまたがる地域に居住してきた民族である。 渡来系弥生人の文化(日本語など)に同化吸収されずに残った、縄文人の系統だと考えられている。
本土日本人(大和)、琉球人(沖縄)と共に縄文文化圏に含まれる。 現在は日本国内に大部分が居住している。 2019年5月に施行された「アイヌ施策推進法」では「日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族である」と明記されている。 2020年には文化復興の拠点として国立アイヌ民族博物館を含む「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が北海道白老町に開設された。 概要 アイヌは永くオホーツク海地域一帯に経済圏を有していた。 すなわち生業から得られる毛皮や海産物などをもって、黒竜江下流域や沿海州との山丹交易を仲介したほか、カムチャツカ半島南部の先住民族のイテリメン族と交易を行っていた。 また、日本列島の和人とも交易を行い米などの食料や漆器、木綿、鉄器などを入手していた。 アイヌは、元来は狩猟採集民族であり、文字を持たず、物々交換による交易を行う。 独自の文化を有する。 母語はアイヌ語。 独特の文様を多用する文化を持ち、織物や服装にも独特の文様を入れる(かつては、身体にも刺青を入れた)。 家(住居、アイヌ語で「チセ」)は、(昭和期以降の学者らが)「掘立柱建物」と呼ぶ建築様式である。 アイヌは日本とロシアに居住する「少数民族」であり、現在の日本国内では日本国籍を持つ人の民族についての調査はされていないため、少なくとも北海道や首都圏に幅広く居住していることくらいが漠然と分かっているだけとなっている。 研究者らの間でさえも、「だれがアイヌ民族か」「だれをアイヌ民族として対象とするか」で議論があり、正確な居住地域や正確な数などはよくわかっていない。 2007年には国際連合において「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択されるなど、世界的に、先住民族への配慮を求める要請が高まってきた。 (そうした世界的な要請も視野に入れつつ)翌2008年(平成20年)には日本の衆・参両院の本会議においても「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が採択された。 さらに日本の国会は、2019年(平成31年)4月19日に「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律(アイヌ施策推進法)」を制定し、法律として初めて「先住民族」と明記された。 呼称 アイヌ アイヌとはアイヌ語で「人間」を意味する言葉で、もともとは「カムイ」(自然界の全てのものに心があるという精神に基づいて自然を指す呼称)に対する概念としての「人間」という意味であったとされている。 世界の民族集団でこのような視点から「人間」をとらえ、それが後に民族名称になっていることはめずらしいことではない。 これが異民族に対する「自民族の呼称」として意識的に使われだしたのは、大和民族(和人、シサム・シャモ)とアイヌとの交易量が増加した17世紀末から18世紀初めにかけての時期とされている。 ウェンペ アイヌの社会では、本来は「アイヌ」という言葉は行いの良い人にだけ使っていた。 悪い同胞を彼らはアイヌと言わず、ウェンペ(悪いやつ)と呼んだ。 地域差 地域によって文化や集団意識が異なり、北海道太平洋岸東部に住したアイヌは「メナシクル」と称し、同様に太平洋岸西部のアイヌは「シュムクル」(シュムは西を意味する)、千島のアイヌは「クルムセ」もしくは「ルートムンクル」などと呼ばれるなど居住地域ごとに互いを呼びわけていた。 時代別の呼ばれ方 大和民族(和人)は、中央政権から見て開拓されていない東方や北方に住む人々を古代中国の呼び名より「蝦夷」、幕末期には「土人(その当時は純粋に「土地の人」や「地元の人」の意味で用いられた言葉であったが、大正時代以降には次第に侮蔑感とともに使われるようになったとされる)」と呼称し、次第にこれが渡嶋から北の人々を指す言葉となり「アイノ」(=アイヌ)と同一して呼ばれるようになる。
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